*近 況  平成二八年度

 
目  次  (アーカイブ)
 正月”かに料理”  講演「あのとき僕は13歳だった」
 成田山詣で  キヤノン東京第一撮影会
 東葛偕行会  明大マンドリンクラブ
 巨大キャベツ  SKK中央線四方山話
 三浦荒崎海岸撮影会   川越市邦楽連盟発表会
 建国を祝う会  惠子 再手術
 納富家墓参本曲勉強会  戦争犯罪国はアメリカだった
 兄 一周忌  柏警察署の調書作成
 茨大クラス同窓会  田代民謡研究会
 大木戸句会会解散会  山田流箏曲勉強会
 SKK開講演会「面白くなければ人生..  SKK「人生は旅である」
 東京第一写真展2016  竹伶会月夜野合宿
 SKK定例懇話会「菊水光芒」  葛飾民謡協会発表会
 富田社中箏曲勉強会  旧芝離宮恩賜庭園
 三輪写真展  SKK定例懇話会「真田丸」解説
 28年度三曲名流大会  キヤノン東京第一撮影会 
 萩岡会演奏会  さいたま市三曲協会発表会
 朝日生命社友クラブ総会  SKK旅行会「真田丸」を訪ねて
 SKK國學院博物館  童門会全国演奏大会
 吉祥寺名曲喫茶「バロック」  朝日生命社友倶楽部創立50周年懇親会
 惠子交通事故  















































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    朝日生命社友倶楽部創立50周年懇親会    
                                     11月30日  於 ホテルグランドヒル市ヶ谷

 
 朝日生命社友クラブは創立50年を迎える。記念行事も考えられ、盛大にPRしたおかげで平常出席者の2倍の220名が参加され。鏡開きやら盛大に行われた。
 動機の出席者は落合さん以外はあまり見当たらない。
 千葉から鈴木さん、唐木さんに会う。





























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    童門会全国演奏大会    11月26日  於 証券会館ホール

 
恒例になった 童門会全国演奏大会は首都圏一円の支部の参加に加えて、神戸支部の加藤さん、上越支部の永島さんたちの参加が花を添えて盛大に開催された。
 本曲はスタートの「一二三鉢返し」と最終の「吟龍虚空」で乾坤を占めた。
  参加曲は「一二三鉢返し」と山田流箏曲「松風」に参加する。細かいミスはあったが思い切り演奏できた。
 二次会は八重洲の「初藤」加藤さん永島さんたちも参加する。
 糸方は山田流で
「萩岡松韻」社中 大里華勢井社中、設楽千聡代社中、
 生田の佐藤紀久子社中の四社中、
そっそくホームページに掲載する。

 若手の進出 宮 正木 の演奏が目立った。
真篠氏の「赤壁の賦」はきれいだった。

終了後 八重洲口 初藤にて懇親会 
 




























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    SKK旅行会「真田丸」を訪ねて    11月14~15日 
上田城

 
 南櫓と北櫓の間、正門より入場する。北櫓から 本丸跡、ここの紅葉は素晴らしかった。堀に水鳥が遊び紅葉を一層盛り上げる。真田丸展示場を跡に真田の里へ。

 真田の里では真田記念館入場、砥石城も近く真田の歴史をよく説明してある。
 湯ノ丸山 角間山の西、裏手に当たる山村である。

 鳥居峠を越える、嬬恋の里へ。昔の山歩きを思い出す。
4時半 草津「櫻井ホテル」に到着する

 宴会で 佐々木 志田 さん達と「三谷管垣」を演奏する。堀川さん夫妻のオカリナを加えて懐かしい合奏へと続いた。
岩櫃山

 
八ッ場ダムは民主党の勝手でだいぶ振り回されたが、やっと建設の運びとなり地元は喜んでいる。だめ建設現場上流の展望台は綿貫さんのすすめで立ち寄る。
紅葉が美しい、今だけ見えるダム固定の流れ、
人里はまもなく湖底に入る。

岩櫃山は郷原駅から展望、荒い岩肌が黒々と見事だった。

 高山峠の娯楽施設はパスして月夜野の「名胡桃城」を見学、竹伶会では本丸から展望台も登ったが、
今回は駐車場から。 
沼田城址公園

 
  沼田城はガイド付きで、前回のガイドなし観光よりはだいぶ収穫があった。

真田の時代から明治まで詳しい説明が続く。
紅葉が真っ盛りで
沼田を超えた名胡桃城が美しい展望を見せる。
三峯山の名前お通りここの展望台からは
三峯の形によく見える。
紅葉撮影を堪能できた。




























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    さいたま市三曲協会発表会   10月30日  さいたま市民会館
 尺八本曲の「山谷管垣」を8寸管とと二尺で二部合奏。きれいに演奏できた。二尺管は岩崎、柘植と私の3人。

 箏曲は久しぶりで大宮の神田車中と合奏

 さいたま市三曲協会の懇親会に参加する。30名に近い日と、交友が増える。





































37
    キヤノン東京第一撮影会 甲子温泉観音沼    10月27~28日
 
 午後からの撮影となる。紅葉は全山見頃と言ってよい美しい山並みである。5時まででだいぶ時間がある。入り口近くの紅葉や樹木の映り込みに撮影を楽しむ。
 沼の西側に展望台のような二つの山並みがある。もてあまし気味の時間調整のためのんびりと展望台に向かう。紅葉や、雑木林の紅葉が盛りで、撮影を楽しみながら登る。また大きく下る展望台で急速。木立五指の山並み。紅葉の小道。樹幹から除く沼面、思ったより収穫がある。下って雷山の社からまた観音沼に戻る。時計は3時 

早朝7時まで、観音沼での撮影、

午前中西郷村の雪割橋近隣の撮影。万屋しと散策コースを回る。渓流の滝はもっと時間をかけるべきだった。

那須の奥 沼原湿原は雨の中の撮影となった。ガスが強く視界はなかったが、だんだん薄れてくる。湿原を一週する眉もの巨木にお目にかかる。ここでの収穫は大きかった。 
 



































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    SKK定例懇話会「真田丸」解説    10月21 依田 於 日偕行社

 
三田三国志を読破された依田理事のお話。時代系図を中心に、楽しい勉強会になりました。SKK旅行「真田丸を訪ねて」の旅行を来月に控えで、予備知識を十分得ることができました。

SKK定例懇話会参照  



























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    SKK自然史跡見学会 旧芝離宮恩賜庭園    10月14日 芝庭園
 
  
NEC芝クラブで会食後解散

































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    葛飾民謡協会発表会 葛飾区文化祭参加  10月2日 亀有リリオホール


葛飾区文化祭参加の葛飾民謡協会の発表会が亀有リリオホールで実施された。
  会主が亡くなり秀童会は解散状態で、清水さんと山田さんが清童会に入会
器楽合奏 清童会  三味線 清水
   「さんさ時雨」「とさの砂山」
コンクール参加「生保内節」  山田さん
器楽独奏「郡上八幡」「喜代節」 栗原
独唱 「あべや」清水さん
支部長の部で田代さん
「相馬土搗き唄」尺八伴奏栗原
予定通りのコースで無事終了した。
 山田さんの梅組優勝は快挙だった。














































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    月夜野竹伶会合宿    9月25~26日 月夜野館
 例年通り月夜野館で実施、1時より5時まで
童門会全国大会の「松風」はだいたい大丈夫、
さいたま三曲の「四季の遊び」はまだ練習が必要だ。「三谷管垣」は二尺管でOK
  いつものようにISOの「若代水仙」さんが熊谷から参加 土浦の「亀井」さんそれに地元の「阿部」さんとそのお弟子さんが参加 部外者は4名参加。
阿部さんの普化宗の曲が演奏された。音色を楽しむことが主流のようだ。
 
 早朝「竜泉寺」まで撮影散歩。立派なお寺なのでびっくりした。蕎麦の花は終わり彼岸花が多い。関越道に沿ってきたに進むこと30分で 「竜泉寺」着、大きな山門から登る。振り返ると子持ちの山並みが見える。蕎麦の花は終わって黒い種が実りかけていた。
 月夜野館の車で 午前中 猿ヶ京近くの「名胡桃城」が真田丸放映でリニュウアルされていた。沼田城祉 と小松姫ゆかりの正覚寺を詣で 献笛する。
 和菓子老舗の「かねもと」で土産を買う。











































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    SKK公開講演会「人生は旅である」 近畿日本ツーリスト     
                                                       9月16日 偕行社
                  講演風景
観光の定義  「余暇」「非日常圏」「リクレーション」三つの重なり
Ⅰ,日本人の旅行特性の移り変わり
  1.戦後 修学旅行 職場旅行
  2.イベントとその影響 東京オリンピック。大阪万博。
  3.節約ムード 安近短に 自家用車 レンターカーの利用
  4.好景気とバブル経済 海外旅行 旅行社企画募集旅行
  5.高齢者時代とIT時代 安近短 高遠長 の2極化 ネット活用旅行
Ⅱ、観光旅行の傾向と 関連産業
  1.国内旅行 周遊から 目的を持った旅行
           ドライブ旅行
           都市観光 産業観光
  2.海外旅行 リピータの増加
           LCC輸送量増大と若者の増加
           企画募集旅行は高齢者
  3.来日外国人客 東、東南アジアの経済成長と所得増加
            「観光立国」政策
           LCCの増便、地方空港の利用増加
  4.観光関連産業の課題
           旅行業者
           運送交通事業
           宿泊。飲食業
           観光対象、受け入れ地域
 旅は人を 賢者にもするし 愚者にもする。
深く 面白く 新しい発見も含めて楽しい講演でした。
ITの活用は素晴らしいものがある。  












































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    山田流箏曲合奏勉強会 「松風」  
                        
    9月10日 粟島神社 
 

  今回の手配は竹豊会の小森周童サン
独奏曲目と参加者は以下の通り、豊島区要町の粟島神社にて
糸方は山田流設楽千聡代先生社中のみなさん


 以上12名参加
   曲名    尺八奏者    琴  替手      三弦
  臼の声    佐々木明童  樋口 藤平      三弦 設楽
  松風     伊藤 遊童   設楽 吉野     三弦 樋口
          栗原 遊童
          坂口 隆廣
  竹生島    柘植 富夫   樋口 吉野     三弦 設楽
  岡安砧    星野 忠童   設楽 吉野 藤平 三弦 樋口
  松上の鶴  亀井 鳳童   吉野 設楽     三弦 樋口
  壽 競    五月女調童   設楽 吉野     三弦 樋口
  千鳥の曲  志田 東童   設楽 設楽 藤平
  四季の段  小森 周童   設楽 設楽     三弦 樋口
  鐘が岬    川津 征童   設楽 吉野     三弦 樋口






































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    田代民研 葛飾シンホニーホールスタヂオ   9月7日
 
 三味線のAさんが止めてしまったので、代わりに秀童会から清童会に入った、 山田さんと清水さんが田代民研に参加するようになった。
 山田さんは船橋在住で唄専門、「生保内節」を10月2日の文化祭に唄う。
清水さんは「あべや」を唄う。二人とも清童会に入会した。清水さんは三味線も弾くので、器楽合奏に参加して貰うことになった。
  私は 「郡上八幡」と「喜代節」の尺八独奏、そのほかに器楽合奏は 「さんさ時雨と「十三の砂山」を予定している。





























29
    惠子 柏警察署交通事故調書作成   8月24日 柏警察署
 

  6月10日の事故調書の作成が再入院等で遅れていたが、やっと柏警察署に出向いてT 警察官の指示で被害者調書の作成にこぎ着けた。
  事故の内容が惠子の申し立て通りに訂正された。左側通行が出来ないので歩道を渡って第4小学校側の歩道に横断歩道の歩行中に左後方からトラックにぶつけられた為、転倒骨折をした。
 T 警官が「左側を通ってもいいんですよと」と付け加えた。おかしなことを言う。
道路交通法の十条に「歩道のない道路では人は右、車は左と規定してありますよ」私が付け加えると、六法全書を出して調べだした。「ああ、その通り書いてありますね」
歩行者の左側通行はどこにも書いてない。
 「歩行者は左側を通ってもいいんですよ」最初はっきりそう言った。警察が左側通行を薦めていた。
 初めて道路交通法の10条の規定を見たようで、「右側を通るように書いてありますね」という。警察官が歩行者通行区分を知らない。これでは歩行者の左側通行の多くなるのは当たり前だと思う。
 恥をかかせてはと思い、それ以上は追及しなかったが。道路交通法の10条は警察でしかも交通課の警官が全く知らないと言うことは何としたことだろう。
 調書は30分ほどで済んだ。








































28
    「戦争犯罪国はアメリカだった」 東京裁判70年の虚妄
     ヘンリーSストークス著 読了
    8月20日
 

「戦争犯罪国はアメリカだった」
英国人ジャーナリストが明かす東京裁判70年の虚妄
    ヘンリー S ストークス著 藤田裕行訳 


序 章 東京裁判こそ戦争犯罪だった。
   戦勝国が敗戦国を裁くことは許されない。戦勝国が敗戦国を裁いて犯罪人として、一方の将兵のみを処刑するのは復習だ。 降伏文書に調印はしたが日本は主権を持たない占領期間中の一方的な裁判だった。メデアを
活用してアメリカの正当性を美しく飾り上げた。
第 1章 極東軍事裁判研究プロジェクト
   平和に対する罪、人道に対する罪は法的な正当性を全く有していません。国際法に存在しない犯罪でした。それを罪とすることは「事後法」で犯罪責任を作り出すものでした。  南京大虐殺は中国のプロパガンダ。外国特派員がこれに協力する。

第 2章 三島由紀夫の市ヶ谷事件
  三島の檄
   日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでも良
  いのか。...今こそ我々は生命尊重以上の価値の存在を諸君の目の前に見せて
  やる。
   それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の
  国、日本だ。

第 3章 アメリカによる洗脳
  
洗脳されたことに気づかない日本の国民 結果東京裁判で「A級戦犯」が処刑された。「A級戦犯」が祀られている靖国神社に首相が参拝するのは良くない。民意に反して軍部が戦争に国民を引きずり込んだ。日本は侵略戦争を起こしてアジアの人々と戦った。(実際は米、英人)日本軍はアジア諸地域で多くの民間人を犠牲にした。沖縄の人々を見捨てて犠牲にした。 東京空襲も原爆投下も日本が過ちを犯したからで反省すべきだ。 戦勝国にとっては非常に都合の良い思想に日本人は馴染んだ。
第 4章 イエスズ会の独善的な日本布教

 聖書の「民数記」では、神の宣託を受けたモーゼが、異教徒は「男も女も全員虐殺」することを命じている。さらに「男を知らない処女は分かち合え」と教えている。 









































27
    惠子再手術     8月8日 柏厚生総合病院

 
  傷外固定を外してから、骨の盛り上がりがなく、橈骨先端は骨量が縮小しているため、アンバランスになり、もう1本の骨が出っ張ってきて外れそうになる

 骨量を補填、人工骨を入れないと駄目だという。手術の失敗かと思ったが、荘ではなく、骨量不足で治癒しないと言う。チタンを入れる手術をやらねばならないという。

 9日入院 19日退院































26
    川越文化祭参加 川越市邦楽連盟(童門会)   7月16日 ウエスト川越
   川越駅西口が見違えるほど綺麗になった。東口と橋上歩道橋が綺麗につながっている。ウエスタ川越はこけら落としが住んだばかりの新しさで見事なホールが完成している。趣味講座等の多目的ホールも完備、楽屋も十分の広さと数で或る。和室楽屋は川越邦楽連盟(荒屋さん中心の童門会中心のグループ)が一日独占。
 「三谷管垣」「雲井獅子」の二曲演奏、1.8管と2尺の共演、二尺管担当する。
リハーサル室も体育館のような広さで或る。
上尾支部の小野田さんグループ5名の参加で総勢は20名を超えた。






































25
SKK定例懇話会 中央線四方山話 安東   
                 「みんなで唄おう」堀川
 7月15日 偕行社

 
  安東達「中央線沿線四方山話」主に鉄道の敷かれた歴史を中心に話を始める。
八王子、吉祥寺の町が中心に話が弾む。中村さんの音楽喫茶「バロック」
に話が弾み、中村さんのコメントもあり、賑やかになった。
 テータイムの後
  堀川さんの「みんなで唄おうがすすむ。全員参加で楽しい一時を過ごす。
今回は五線譜楽典にも触れ、堀川さんの発声の正しさが目立った。
 音楽の勉強会に発展しそうだ。
                                  出席者17名  
























































24
    明大マンドリンクラブ演奏会    7月2日王子北トピア
 
  

1.東京ラプソディ 2.人生の並木道 3.酒は涙かため息か 
4.明日があるさ   5.時代メドレー   6.懐かしの歌声 
7.影を慕いて    8.丘を超えて   9.津軽組曲 夏

  最後の津軽組曲は素晴らしかった。

























































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キヤノン東京第一撮影会 雨飾り山荘から栂池山荘
 6月27~29日 長野県小谷村
 

雨飾り山荘と栂池山荘の二泊

 








































22
SKK公開講演会「あの時僕は13歳だった」     
                       6月24日 偕行社にて 寒河江正







日本統治下の朝鮮半島の中学校で日本人少年が思わず放った「朝鮮人が朝
鮮語を話して何が悪いんだ!」の一言
が半世紀の時を超えて二人の少年の運命的な再会と普段着の日韓民間外交を展開している。 
小さな事件は昭和20年4月。城津(じようしん)中学1年D組で起こった。
 
 級友にいじめに遭っていた朝鮮人少年を寒河江少年がかばった。朝鮮語をしゃべったのは羅(な)逸星(いるそん)少年だった。
 13歳で別れた二人の奇跡的な再会は41年後の昭和61年秋、金浦空港で実現する。わずか4ヶ月の中学生活の一コマを寒河江少年は忘れていたが、羅少年ははっきり覚えていて戦後、NHKの「尋ね人の時間」や日本人の知人らを通じて探し続けていたのだ。ソウルの再会は二人だけでなく当時のクラスメイト12人も駆けつけた。感動のドラマだった。以後、グリーンクラブのOB会「クローバークラブ」を主体日韓民間交流が続いている。







































21
惠子交通事故 6月10日 柏第4小学校前
 
 4時40分ぐらいだろうか、惠子は松ヶ崎バス停で下車、四小側に、信号が青になったので渡り始めた。左後ろから突然小型トラックに追突された。何時も危ないと言っていたところ。左肩がぶつかり押し倒された。警察がバックミラーに髪の毛が着いていたといっているので、頭が当たったらしい。
 倒れた瞬間に後ろ輪で惹かれる危険を感じたと言っている。倒れてその衝撃を東の手で受けた。手首がみるみる腫れ上がったという。
 6時 柏厚生総合病院で緊急処置 惠子は検査でレントゲン室に入った。廊下の待合室で結果を待っていると加害者の松田氏が又お詫びに見えた。しばらくして警察署員が3,4名現れて、後で診断書と被害とで家を出して下さいという。入院騒ぎの最中にびっくりした。 検査結果の報告が担当医から遭った。左手首の複雑骨折。手術が必要で13日月曜日になるという。頭が心配だと告げると脳のレントゲン表示して、硬膜下出血の心配はありませんとのこと。

 手術後の写真では完全に手の平の本の部分の数個の骨に綺麗に載っている。外科の先生は技術屋さんだとつくづく思う。橈骨にインプラントした傷外当て木が外部の支柱で手の平の骨につながり外部で固定している。由布子は図解で写していた。
傷外当て木は三週間位付けておくとか。







































20
吉祥寺名曲喫茶「バロック」  6月 1日
 昔懐かしい大口径スピーカーボックス。
真空管アンプ


 SKKの理事会は偕行社談話室で十時過ぎぬスタート、12時には終了する
 SKK会員の中村さんが吉祥寺でかっての名曲喫茶の雰囲気を大切にした音楽喫茶「バロック」の話が持ち上がり、四人で急遽「バロック」を訪ねた。美園通りの中程に店はある。お客が三,四人弦楽四重奏を聞き入っている。雑談は許されないコンサート気分に入る。
 大口径のスピーカーステレオ、硝子越しに真空管式のアンプが見える。
  チゴイネルワイゼンをリクエストする。歯切れの良いバイオリンに響きはたまらない。学生時代に聞いた感動が甦る。孤高のリスニングルームだ。長く続けてほしい店。

    







































19
SKK國學院大學「博物館」 渋谷國學院大學 5月27日
   今回のSKK自然史跡見学会は國學院大學博物館の見学会。担当の近藤理事の働きで、学食で昼食を採る。学生時代に戻った気分。
  長い伝統を持つ日本文化、考古学的立場から見て、収集された遺跡、遺構、遺物など陳列品は豊かである。
  日本に根ざした神々への祭り、行事、日本各地の神社信仰、ものと心、日本文化とその基礎にある神道精神がわかりやすい。

  國學院大學およびその設立母体、皇典講究所関連の資料、コレクションの展示、国学のなんたるかを知る材料になった。





































18
27
朝日生命社友クラブ総会 ホテルグランドヒル市ヶ谷 5月26日
社友クラブ役員の皆さん
 
28年度総会の後懇親会に入る。内田代表始め役員の皆さん方。
スナップ写真   
出席者が百名を着る状態で一寸寂しい。
親しい面々は探すのが楽になった。







































17
萩岡会定期演総会 5月22日 三越劇場
月夜浜舟

萩岡会定期演奏会が三越劇場で開催され童門会からも参加しました。
三曲協会から錚々たるメンバーも参加されました。
写真は「竹風会」の演奏風景です。
童門会から「松風」に十四名、私も参加しました。、

三越のライオン像








































16
三曲名流演奏会 4月30日 国立劇場大ホール  担当 星野 伊藤

  この曲は、三代目琴古の手記中には、下総の国(現松戸)金竜山一月寺(総本山の)門弟吟龍子より伝来、吟龍子が「九州鈴慕」を懇望したので、初代琴焦古が伝授したとあります。曲名は、この伝来者の名に基づいたといわれています。又、虚空とは虚竹禅師(寄竹)が、紀州朝熊山の虚空蔵堂で夢の中で妙音を感受し、それによって真理を直感したという事から名付けられたと言われ、吟龍虚空はその中の一曲と言われています。
 地味な曲ですが、落ち着いた深みのある曲であるとも言われております。
 
 この演奏会は東京新聞社主催の「三曲名流大会」(上野東京文化会館)から公益社団法人 日本三曲協会「三曲名流演奏会」(国立劇場、大劇場)に変更されて3年目になります。
 全国から四十社中(四十曲)千四百名強の会員が出演されました。わが童門会からは四十名が出演しました。
 当日は出番が三十五番目と終演に近く、観客の人数も気になるところでしたが、終始落ち着いた演奏が行われ、童門会会員の実力が発揮されて、会場から大きな拍手が上がりました。
        伊藤遊童 記
出演者
 納富壽童 荒屋夢道 宮沢悟道 安納都童  真篠無童 星野忠童
 志田東童 小森周童 岩崎圭童 佐々木明童 河津征童 宗形幸童
 伊藤遊童 中尾志童 高橋澄童 古越笙童 小野田乱童 根本浩童
 飯島洋童 朝倉葵童 村瀬剛童 荒海應童 山下英壽  土屋羊童
 鈴木隆童 木内幸童 高田輝童 栗原有童 五月女朝童 松本柯童
 夏川吹童 亀井鳳童 千葉銀童 中村啓童 鈴木賞童 井川元童
 小野寺栄壽 正木南壽 柘植富夫 坂口隆廣 







































三輪写真展 4月19日 キヤノン銀座ギャラリー

和紙プリントの素晴らしさを見事に表現している。
学び取るものが沢山ある。

ハイキーの和紙プリントに挑戦したい意欲にかられる。

三輪さんは和紙という新しいジャンルを確立した。
楽しめる写真展だった。






































富田社中箏曲勉強会   4月17日 富田歌萌宅


 11時スタート 
 「乱れ」 正木 坂口 正木さんの勉強名とがうかがえる。
尺八では初伝だが箏曲では奥伝に入るとか。
前唄のスタートも難しいが、6段以降の調子の乗った早さは勉強無しには吹けない。

「黒髪」 安野 星野 これも尺八では初伝だが情緒の表現が非常に難しい曲。
星野先生は綺麗だ。

「新高砂」栗原 謡曲の高砂からだが、相変わらず緊張したので、
ゆったりさが掛ける。糸方との間合い、呼吸がいまいち。

「夕顔」柘植 岩崎が参加、岩崎さんは耳が遠いのに良く呼吸が合っていた。


 番外で 富田先生の「トンコリ」の演奏があった
素朴な楽器で 
アイヌの民族音楽の流れをくむとか。
4時近くまで楽しい会が続いた。
























































 SKK定例懇話会「菊水の光芒」 4月15日 川崎賢治 偕行社
川崎会員講演風景


耕雲寺山門の 菊水の紋

  私の古里は新潟県北端の城下町、村上市です。
皇太子妃に選ばれた小和田雅子さんが村上藩の下級武士小和田家の出身だと言うことで、一躍村上の名が世に知られることになりました。
私は幼少時代、村上で過ごし、村上には大した産業もなく、閑静な田舎町だ位にしか思っていませんでした。
  しかし就職して仙台に住むようになり、古里に対する考え方が一変しました。
 日本の歴史の中で燦然と輝き、第一等の忠臣と言われた楠木正成の孫に当たる人物が村上の山奥に創設した「耕雲寺」があり、ここで多くの雲水が修行し、東北に八百寺の耕雲寺系のお寺があると言うことを知ったのです。
  お彼岸やお盆に帰郷した折、耕雲寺に関係のある方を尋ね、村上の奥に何故創設されたのか探求しました。そうしてる中、一人の偉大な人にお会いできました。小池明氏です。一族一門を上げて楠木家の業績を探求している方です。特に耕雲寺創設者「能勝」の父正義(政重の三男)については、かの太平記に記述されていることとは大きな異論をもたれていました。
   今回はこれらを総合して、耕雲寺が村上の山奥に創設され「菊水の光芒」が現在も輝いている、これらのことについて、お話ししたいと思います。

















































 キヤノン東京第一写真展2016  4月5日 四谷フォトギャラリー

東京第一撮影会 「光る湖面」秋元湖 出展
大川由布子(娘) 小百合(孫)が来てくれた。
田 安 門

写真展の当番を終わって、親、子、孫で花見の出かける。
市ヶ谷、靖国神社 千鳥ヶ淵と満開の桜と撮影を楽しむ。

















































 SKK公開講演会「面白くなければ人生でない」
           
                3月18日 黒木安馬 九段偕行社
黒木安馬氏の熱演

  30年間のJAL国際線管理室客室乗務員、訓練指導官を通じて、緻密な人間観察、を通じての体験をお話しされた。
相手に好感をを持たせるには  相手を知る 認める 好きになる 
① 禁句 「しかし」という言葉 相手を否定する、対立する言葉は人  間関係を壊す。「なるほど」と相手を受け入れることから始まる。
② 「だから」の責任追及早める。「だからこそ」 確認 原因追及を  するべきである。
③ 書く、描く 絵に描けないものは実現できない。
   Jal 乗務員の指導テクニクを披露したかたちである。








































大木戸句会会解散会 3月24日 滝野川会館
    2時より最終謝恩会会食を実施する。
 出席者
 関口湖舟  飯倉豊司  杉野昌子  武藤和子  山城利躬
 栗原弘
  先生 手島靖一    あしび水原秋桜子 門下
                 輪蔵を回せば軋む春彼岸 
                拭はれて大仏笑まふ暖かさ  

 高齢化のため大木戸句会はこれが最後である。関口、飯倉さんの手配で散会の会食会を滝野川会館の同室で実施した。

















































 茨大クラス同窓会  3月15日 水戸ホテルレイクビュー
出席の面々 昭和31年卒政経学科
茨城大学文理学部政経学科の同窓会は2年に1回実施している。
文理学部の1期2期は旧制水戸高校からの移籍者が多かったが、我々4期生は純粋の新制大学になってからである。
 平成26年は14名参加、その時は次のオリンピックまでは生きようヶ合い言葉だったが。
 今回の出席は9名である。井上氏の案内で物故者が大分多くなり残りは30名台になった。全員との会話が出来る。初田は水戸商業から一緒で大学時代の付き合いは多い    
2時終了で 
千波湖をのんびりと回って 偕楽園まで歩いた。
梅は満開を過ぎていた。
G3Xカメラの初撮影を楽しむ。 
好文邸の前 「梅娘」が迎えてくれた。

常磐神社からバスで水戸駅に向かう、学生時代の面影はない。
   
 茨城新聞の社長だった、室伏が体調悪く奥さん同伴で見えた。

春分や同窓会も老い迎へ 
 















































兄武士一周忌 3月5日 水戸六地蔵寺 
水戸六地蔵寺

惠子は足が不自由で、私一人が車で参加、六反田の「録地蔵寺」で法要が行われた。法要後 住職より、栗原家は六地蔵寺の熱心な檀家であったこと、六地蔵寺が「水戸大師」になった話などがあった。



 墓前に塔婆を上げて、浜田の「魚金」で会食する。母方の従兄弟 川又 大貫 あがけから、、父方は少なくなった。大野の姉方も見えた。

ふるさとや梅の盛りの一周忌









































 納富家墓参本曲勉強会 2月28日 童門 竹伶会
   納富壽童翁墓参 献笛「三谷管垣」
 本曲勉強会は「虚空鈴慕」演奏する
懇親会
 

小平美園会館で本曲勉強会の後 懇親会 実施



































 建国を祝う会 2月11日 柏文化会館


 皇紀2676年「日本の建国を祝う集い」に参加しました。小ホールでしたが満員の盛況で喜ばしい限りです。
 国歌斉唱 紀元節の唄斉唱の後
 実行委員会の相さるが有り、賛助会に皆さんの紹介がありました。

「流れる雲よ」舞台風景



 3時より 演劇集団アトリエッジの特攻隊ミュージカル「流れる雲よ」が演じられました。
特攻隊員の使命、国のため、家族のため、愛する祖国を守るために、それを信じて彼等は死んでいった。使命を果たした。使命とは命の使い方と言う言葉が耳に残った。
 タイムスリップのラジオ放送は良かった。彼等が死んでいったために今の日本がある。局のアナウンサーをしている孫娘に、とっくに死んだはずのおじいちゃんが電話で応答する。「今の日本はいい国ですか」  いい国にするために私は、今死んでいく。
ためらった後「え、いい国ですよ」 その答えんほっとして坂本は特攻機に乗り込んだ。
 このタイムスリップの効果は大き。若い人達に是非見てほしいところだ。
 特攻機の自爆の演出効果は素晴らしかった。

 王室が2676年も(紆余曲折はあったにしても、古事記や日本書紀に不明な点があったにしても、)2000年も万世一系の天皇家が民を思い、続いた国は世界中で日本だけです。 この埃は日本人全てに持ってもらいたい。

マッカーサーでさえ本音日本は自衛の戦争だと言っています。
戦後の自虐思想。日本が戦争に負けてアジアの多くの国が植民地支配から脱して独立しました。インドのパール博士の言に耳を傾けたい。
 良い一日を 過ごすことが 出来ました。






































 三浦荒崎海岸撮影会 2月 9日 キヤノン東京第一
   キヤノンフォトサークル東京第一のミニ撮影会、三浦半島荒崎海岸で行われました。
 強風と荒波で有名なところ、予定通りに晴天でしたが強い西風と波は期待通りでした。
  高台に登った方が多かったが、夕日と荒波を採りたくて最後まで海岸で粘った。
  水平線の雲で、夕日に被る波と迄は行かなかった。強い逆光でカメラの操作に手間取ったりした。撮影の興奮を久しぶりで味わった。
 「海の屋」、マグロ料理で一杯やって帰る。参加20名 
 
寒風にしぶきを散らす荒岬
 遠曈富士に沈む夕日の磯寒し 




































小谷の巨大キャベツ  2月2日

 
一箇で3kgを越えそうな大きなキャベツを巧人ヶ持ってきた。
雪キャベツとが非常に甘くて美味しい、
市販では3000円は超えるという。
東京農大の研究農園が小谷にありタックンは良く出かけるとか、
親しい近隣の農家「坂井昭」さんの作品という。
「農大生態研」は大変お世話になっているそうだ。
2月12日NHK「キッチンが走る」出紹介される。
 雪中キャベツは15年程前に小谷村内、
北小谷地区で細々と作られていたそうで、
太玉な種類のキャベツを夏に定植し、
年明けに雪をかぶった畑から掘り出して出荷する。
根を張ったまま雪の下で生きているため、
凍らないように自らデンプンを糖に変えて甘みを増し、
実も大きく締まる。















































 東葛偕行会新年会 1月17日 麗宮飯店






 麗宮飯店(柏プラザホテル1階)で東葛偕行会の
記念講話と懇親会が行われました。
国旗礼拝君が代斉唱。
会長の挨拶。
ソ連抑留体験談。
 本日の本命、柏市在住の「旧ソ連抑留体験談」が(木内信夫氏(柏市在住)の思い出話が)続きました。
氏は抑留生活を絵に描いて保存され
それが文化遺産として登録され、今回発表されました。
ソビエト ロシアの非道が思い出されます。
 否定されがちな軍隊生活を体験を通して、
価値あるものとして意識していることに感銘を受けました。

 その後懇親会に入った。SKKの会員から 志田 中原さん、ゲストの布施木さんも参加された。 
自衛隊会計所属の菅原さんが入会初参加された。
話が弾みSKKに入会することになった。







































成田山 初詣  1月11日









今年は妻 惠子の足の具合が悪く歩行は無理、
私一人で参詣する。
成人の日に当たるが、晴れ着姿は見かけない。札納を済ませる。

       札納め無事のお礼を明王堂  

本道参詣後、不動明王の大塔に向かう。
公園周りでなく一人なので、時計回りに行く、
不動明王の前で正座し、惠子の足の回復を祈った。
忿怒像は黙って見下ろしている。
本堂に戻ると3時の護摩供養、昇殿参加する。

        初護摩や読経の声高くして

 参道には例年の猿回しが人を集めていた。







































正月”かに料理”   1月1日

 1日11時過ぎに長男、充は来た。
女房が韓国旅行で不在とか、
お正月は我が家で過ごすことになった。
 夕食は充持参の”かに”2杯を戴く。
ネット検索でかに料理を進める。
手順を踏めば簡単に処理でき、
美味しく戴くことが出来た。
親子水入らずの時間で妻の惠子も楽しかったようだ。































近 況 の お 知 ら せ