歌詞
そもそも熊谷直実は征夷将軍、源の頼朝公の臣下にて、関東一の旗がしら、知勇兼備の大将と世にも知られし勇士なり。
されば元禄元年の源平須磨の戦いに功名ありし物語、聞くもなかなかあわれなり。
その時平家の武者一気、沖なる船におくれじと、駒を波間にかけ入れて一丁ばかり進みしを、扇を上げて呼び戻し、たがいにしのぎをけずりしが、見れば二八(16,7才)の御顔に、花をよそほふ薄化粧、かねくろぐろとつけたまふ、かかるやさしきいでたちに、君はいかなる御方か、名のりたまえとありければ、したより御声さわやかに、我こそ参議経盛の三男無官の敦盛ぞ、はやはや首を打たれよと、西に向かいて手を合わす、流石に猛き熊谷も、我が子のことまで思いやり、落つる涙はとどまらず、鎧の袖をしぼりつつ、是非なく太刀をふりあげて許せたまへとばかりに、あへなくしるしを上げにけり。
無惨や花のつぼみさへ、須磨の嵐に散りにけり、これを菩提のたねとして、なきあと長く弔らはむ、心おきなく往生を、とげたまわれと言いのこし、青葉の笛をとりそえて、八島が陣へと送りしはげに情けあるもののふの、心のうちぞあわれなる。
戦いにあって熊谷直実は我が子のことを思いながら非情の涙を流して敦盛の首をはねた
その心境が歌に現れている。泣くような響きは心に響く。